ただしこの一文は、区間ごとに確からしさがまったく違う。皮膚での受容と局所の反射は、動物で経路を一本ずつ潰して同定されており、ヒトでもフレア反応や皮膚温として観察されている。一方、脳を経て全身へ返る区間は、ヒトで経路を分離した研究が存在しない。
そして効果の側にも同じ落差がある。変形性膝関節症には二重盲検の偽灸対照RCTがある一方、睡眠領域の22試験は1件も盲検化されていない。本稿は、この落差を区間ごと・領域ごとに明示する。
同じ「お灸の作用」でも、区間によって調べられ方がまるで違います。右端が、その区間の現在地です。
右端のラベルは「効果の大きさ」ではありません。その区間がどういう種類の研究で調べられているかを示したものです。①②が「確かめられている」とは、そこで効果が出ると証明されたという意味ではなく、そこで何が起きているかが分かっているという意味です。効果そのものは 「どんな効果があるのか」 の節で扱います。
読みたい章から入れます。上のメニューバーからも各章へ直接飛べます。
施灸から効果発現までを、受容・伝導・出力の3区間に分けて記述します。
熱はどの分子で活動電位に変換されるのか。どの線維が動くのか。そして脊髄を経ずに局所で閉じる反射とは何か。
第1章 受容と局所反応 → Q2後角のどの層に入り、どう統合され、前外側系のどの経路で、どの視床核を経て、どの皮質に届くのか。
第2章 上行路 → Q3下行性調節は抑制だけではない。自律神経・内分泌・免疫への遠心性出力が、部位と強度で向きを変える。
第3章 遠心出力 →施灸から効果発現までを、受容・伝導・出力の3区間に分けて記述する。熱は熱のままでは体内を伝わらない。活動電位か化学物質に変換されて初めて先へ進み、そこから距離の違う複数の経路に分かれる。
熱は熱のまま体内を伝わらない。活動電位か化学物質に変換されて初めて先へ進む。この部では、変換を担う分子と細胞、動員される線維、そして脊髄を経由せずに局所で閉じる反射を扱う。
施灸によって皮膚に到達する物理量は、少なくとも伝導熱・輻射・燃焼生成物(煙)の3つである。機序を論じる前に、この3つを分けておかないと以降の議論がすべて混線する。
灸の加温を数値モデルで再現した研究では、熱伝導のみを仮定したモデルは実測の温度上昇と一致せず、輻射項を組み込んで初めて実測と合致したと報告されている[2]。ただしこれは屠体の豚組織を用いた ex vivo 実験と数値シミュレーションであり、生体でもヒトでもない。輻射の寄与は灸種によっても変わる。灸頭鍼から放射される光については、点火位置依存性と皮膚側の吸収特性が測定されている[3]。
| 灸種・測定点 | 報告値 | 対象 | 出典 |
|---|---|---|---|
| 間接灸(ST36・ヒト皮膚温ピーク) | 45.3 ± 3.3℃ | 健常者 n=15 | [29] |
| 透熱灸(艾炷底面) | 140〜160℃ | 石綿板上の測定 | [4] |
| 灸様温熱刺激(動物実験の設定) | 41〜52℃ | ラット腓腹筋 | [14] |
| 間接灸(ラットST36・皮膚温) | 65.7 ± 1.3℃・190 ± 6秒 | SDラット | [28] |
艾炷底面温度は、ヒト皮膚が到達する温度ではない。140〜160℃という値[4]は石綿板上の測定であり、表皮温・基底層温とは別の量である。文献間で温度を比較するときは、必ず「どこを測った値か」を確認する必要がある。
到達した熱がどこまで進むかは、皮膚側の条件で決まる。熱損傷の実験的手法と数値モデルを扱った総説では、次の点が整理されている[1]。
この3点は、そのまま刺激条件の記述法に跳ね返る。「何℃だったか」だけでは刺激量を記述したことにならない。何℃が何秒続いたか、どの部位か(層の厚みは部位で違う)、施灸前の皮膚温はいくつだったか——これらが揃って初めて、後から刺激量を再構成できる。1-4節で見るとおり、施灸前の皮膚温は線維の動員構成そのものを変える変数である[12]。
艾炷そのものも変数である。艾炷の密度と高さが燃焼時の温度を変えることが実測されている[4]。「同じ壮数」は「同じ刺激量」を意味しない。艾の温熱刺激特性と生化学的特性については、日本語の総説がある[5]。
熱が活動電位に変換される場所は、感覚神経終末および表皮に発現する温度感受性TRPチャネルである。哺乳類で温度受容に関わる分子として6つが知られ、それぞれの活性化温度閾値は次のように整理されている[6](総説)。
| チャネル | 活性化温度閾値 | 灸の温度帯との関係 |
|---|---|---|
| TRPV4 | >27〜35℃ | 温感域。ほぼすべての灸で超える |
| TRPV3 | >32〜39℃ | 温感域。表皮ケラチノサイトに発現 |
| TRPV1 | >43℃ | 侵害域の入口。間接灸のヒト皮膚温はここを超える |
| TRPV2 | >52℃ | 高閾値。直接灸・強刺激で到達しうる |
| TRPM8 | <25〜28℃ | 冷受容 |
| TRPA1 | <17℃ | 冷受容(ただし熱侵害受容にも関与) |
TRPV1は1997年にカプサイシン受容体としてクローニングされ、侵害域の温度上昇によっても活性化されることが同時に示された[7]。TRPV2(VRL-1)はその相同分子として1999年に報告され、カプサイシン・酸・中等度の熱には応答せず、約52℃という高い閾値で活性化し、感覚神経節では中〜大径ニューロンの一部に顕著に発現すると報告された[8]。
急性の侵害性熱の感知については、TRPM3・TRPV1・TRPA1の3つが揃って欠損して初めて感知が失われることがマウスで示されている[9]。単一チャネルの欠損では熱感知は残る。この系は冗長性を持つ。
灸研究の側からは、総説が「灸の効果はTRPV1〜4、とくにTRPV1とTRPV2の活性化によって規定される」と整理し、温度・時間・面積が有効な灸量を形づくるとしている[11]。ただしこれは総説による整理であり、灸そのものが各チャネルを開くことを個別に測定した研究の集積ではない。
温度は刺激の「強弱」ではなく、開く分子集団を切り替える独立変数である。43℃を境にTRPV1が、52℃を境にTRPV2が関与しうる。したがって「もう少し熱くする」という調整は、量を増やす操作ではなく動員する受容体集団を入れ替える操作でありうる。心地よい温感(TRPV3・TRPV4域)の灸と、明確に熱い灸を、同じ機序の強弱として説明することは避けるべきである。
熱→電気の変換は、感覚神経終末の独占ではない。表皮ケラチノサイトと皮下マスト細胞が、化学伝達を介して神経に情報を渡す経路が報告されている。
38℃群ですでに脱顆粒率は対照の約3倍に達している[18]。「熱感がないから何も起きていない」は、少なくともこの指標では成立しない。一方で、局所の細胞応答が生じることと、それが離れた臓器まで届くことは別問題である——心機能指標が動いたのは46℃群だけであった。
熱を運ぶ一次求心線維は2種類あり、その差はヒトで実測されている。健常成人9名(女性3名、24〜35歳)にCO₂レーザーパルス(ビーム径6mm、10ms加熱後40msプラトー)を有毛部皮膚に与え、反応時間でAδ線維(<650ms)とC線維(≧650ms)を弁別した研究の報告値である[12]。
| 条件 | C線維 | Aδ線維 | 差 |
|---|---|---|---|
| 基準(T1未変化) | 39.8 ± 1.7℃ | 46.9 ± 1.7℃ | 7.2 ± 1.7℃ |
| T1 = 34℃ | 40.3 ± 1.3℃ | 47.4 ± 1.6℃ | 7.1 ± 1.4℃ |
| T1 = 38℃(予熱条件) | 42.4 ± 1.0℃ | 46.7 ± 1.8℃ | 4.3 ± 1.1℃ |
反応潜時はAδ 平均 459ms、C 平均 961ms であった[12]。著者らは、この手法が「皮膚内の熱感受性自由神経終末の全体集団のごく一部を反映しているにすぎない」ことを限界として認めている。
基準条件でのC線維閾値は 39.8℃、Aδ線維閾値は 46.9℃ である。間接灸のヒト皮膚温ピーク 45.3 ± 3.3℃[29] は、C線維閾値を明確に超え、Aδ線維閾値に到達するかどうかの境界にある。SDが3.3℃であることを踏まえれば、同一手技でも個体や部位によってAδ線維を動員する場合としない場合が生じうる。
さらに、閾値そのものが条件で動く。予熱条件(T1=38℃)ではC線維閾値が 42.4 ± 1.0℃ へ上昇し、Aδとの差が 4.3 ± 1.1℃ へ縮まった[12]。
表1-3はCO₂レーザーによる急峻加熱で得られた値であり、灸のように数十秒〜数分かけて加温する刺激とは時間経過が異なる。灸の加温プロファイルでヒトのAδ・C線維閾値を測定した研究は、本稿の調査範囲では見出せなかった。
ラットの炎症性筋痛モデル(完全フロイントアジュバント)で単一線維記録により求心路を弁別した研究がある[13]。刺激条件は、深部電気鍼(BL57、深さ約5mm、10Hz、0.2ms、1mA)、灸様刺激(50℃・10分間、BL57)、カプサイシン外用である。
「灸と鍼はどう違うのか」に対し、この実験は具体的な答えを与える。両者は同じ入力の強弱ではなく、届く層が違う可能性がある。表層の熱刺激で反応が乏しい症例に対し、壮数を増やす(同じ層への入力を増やす)のか、深部への刺激手段に切り替えるのかは、この知見に照らせば別の判断である。ただし麻酔下ラットのモデル実験(階層C)であり、ヒトでの再現は示されていない。
局所反応の一部は、中枢をまったく経由せずに成立する。ウレタン麻酔下ラットの腓腹筋に灸様温熱刺激(加熱41〜52℃、加熱7.5秒・休止12.5秒を1分間に3回)を与え、レーザードップラー血流計で筋血流を測定した研究が、経路を1つずつ潰して同定した[14](Wistarラット36匹)。刺激時の実測温度は1回目 42.7 ± 1.2℃、2回目 49.2 ± 1.8℃、3回目 51.0 ± 0.8℃。
筋血流は一過性の低下に続いて増加する二相性を示し、血圧の変化はなかった。低下相のピークは平均 −23.3 ± 2.4%(15/15試行で出現)、増加相のピークは平均 +25.5 ± 8.6%(11/15試行、約14分持続、60分後も上昇が続いた例が33.3%)であった[14]。
| 介入 | 低下相 | 増加相 | 解釈 |
|---|---|---|---|
| リドカイン(局所麻酔) | 消失(0/6) | 消失(0/6) | いずれも神経性 |
| 坐骨神経切断 | 保持(6/6) | 消失(0/6) | 増加相は求心性線維を要する |
| 脊髄離断(第10胸髄) | 保持(7/7) | 保持(7/7) | 反射弓は脊髄より末梢 |
| CGRP拮抗薬 h-CGRP(8-37) | 保持(8/8) | 消失(0/8) | 増加相はCGRPを介する |
| フェントラミン(α遮断) | 消失(0/11) | 一部保持(5/11) | 低下相はα受容体依存 |
| l-NAME/アトロピン/プロプラノロール | 影響なし | 影響なし | NO・ムスカリン・β非依存 |
決定的なのは2行目と3行目の組み合わせである。坐骨神経を切断すると増加相は消えるのに、脊髄を離断しても増加相は残った。著者らは、増加相は脊髄より末梢に反射弓を持つ軸索反射により生じ、低下相は節後性の筋交感神経線維への直接刺激により生じると結論している[14]。血圧が変化しなかったことから、これは全身性ではなく局所性の反応である。
CGRPについては、血管周囲の感覚神経内でサブスタンスPと共局在し、両者の併用が単独効果の和を上回る相乗的な微小血管反応を生じることが総説で報告されている[16]。ただしヒトの施灸によるCGRP・サブスタンスP遊離量を直接測定した研究は、本稿の調査範囲では見出せなかった。
施灸直後に局所が一度冷たく感じられても、失敗の徴候とは限らない。低下相は交感神経性、増加相は軸索反射性という、機序の異なる2つの現象が時間差で起きていることが動物実験で示されている[14]。据えた直後に効果を判定してはならない。ただしこの二相性はラットの筋血流で測られたものであり、ヒトの臨床効果の時間経過を示すものではない。
灸の求心路について、ヒトで直接的な証拠を出した研究が日本にある。カプサイシンで特定の線維を選択的に脱感作し、灸のフレア反応がどうなるかを見た実験である[15]。
健常成人13名(男性6名・女性7名、平均年齢 26.0 ± 5.6歳)の左前腕内側部に、0.1%カプサイシン溶液を含ませた濾紙を1日6時間・3日間貼付し、TRPV1発現C線維を脱感作した。脱感作部位では熱痛覚閾値が有意に上昇したことが確認されている。
「鍼や灸刺激は主にカプサイシン感受性C線維によってフレア反応を生じることが明らかとなった。灸刺激によるフレア反応はカプサイシン脱感作により大きく減少し、主にTRPV1を介して起こったと考えられた。一方、鍼刺激によるフレア反応は脱感作によって完全に消失した」[15]
灸のフレア反応は「減少」にとどまり、鍼のフレア反応は「消失」した。この差は、灸がTRPV1発現C線維以外の経路も動員していることを示唆する。1-2節で見た熱侵害受容の冗長性(TRPM3・TRPA1の関与[9])と整合する所見である。ただし本研究はフレア反応という局所指標を測ったものであり、鎮痛や自律神経応答について同じことが言えるかは示されていない。
1-5の研究では、刺激点から10mm離れた測定点で反応が認められなかったと報告されている[14]。この「届かなさ」は、数値そのものと同じだけ重要である。
ヒトでは、健常者30名を対象に中脘(CV12)への大型間接灸を3壮30分と1壮10分で比較した研究がある(各群 n=15)。皮膚温と血流(レーザードプラ灌流画像)の変化の群間差は、直径5cm領域で30分間、直径15cm領域で25分間にわたって有意であった[33]。また健常男性10名・計34試行で合谷とその近傍の非経穴2点に赤外線加温を行った研究では、灌流が有意に増加し、増加は合谷で最大であったと報告されている[34](ただし赤外線加温であり艾を燃やしていない)。
局所で閉じる経路は、本稿が扱う区間のなかでもっとも実験的な裏づけが厚い。しかしその到達範囲は直径15cm規模・数十分で頭打ちになる。全身性の変化を説明するには次の区間を持ち出す必要があり、そちらは証拠の階層が一段下がる。
脊髄後角は中継点ではなく、入力を統合して出力を決める場所である。そして上行路は一本道ではない。この部では、灸が後角で何をしているかを実測値から確認し、そこから先の並列経路をたどる。
後角は層構造を持つ。Ⅰ層は主に侵害入力を受け、Ⅴ層を含む深層は侵害入力と低閾値機械受容入力の双方を受ける[19](総説)。この層構造そのものが、高閾値の侵害刺激と低閾値の無害な触刺激の境界を規定している。
後角に入った入力の大多数は、脳へ送られる前に脊髄内で処理される。脊髄視床路をはじめとする前外側系へ投射するニューロンは後角ニューロンの一部にとどまり、残りの大多数は脊髄内にとどまる介在ニューロンと固有脊髄ニューロンである[19]。
そして同じ脊髄分節には、機械刺激・触覚入力・内臓からの入力・上位中枢からの下行性入力が集まる[19]。灸の熱入力は、その中の1つとして到着する。
同じ温度・同じ時間の施灸でも、入る分節と、その分節に同時に入っている他の入力(内臓病変・関節可動域・触圧刺激)によって、中枢での処理結果は変わりうる。効果が出なかったとき、経穴を替える前に「その分節に何が同時に入力されているか」を問う余地がある。
本稿でもっとも注意して読んでほしい節である。灸刺激は後角の広作動域(WDR)ニューロンを黙らせるのではなく、まず発火させている。これは実測されている。
過敏性腸症候群(IBS)モデルラットを用い、電気鍼と灸を比較した研究がある[20](各治療群 n=10、WDRニューロン記録は正常ラット11匹・モデルラット12匹)。方法には「EAおよびMox刺激の30秒後に、背景活動を再び20秒間記録した」と記載されており、測定されているのは灸刺激そのものに対する後角ニューロンの反応である。結腸伸展刺激に対する応答を灸が抑制したかどうかを測ったものではない。
| 刺激条件 | 正常ラット | モデルラット | p値 |
|---|---|---|---|
| 電気鍼 1mA | 0.84 ± 0.74 | 2.73 ± 0.65 | P < 0.001 |
| 電気鍼 3mA | 1.91 ± 1.48 | 6.44 ± 1.26 | P < 0.001 |
| 灸 43℃ | 1.76 ± 0.81 | 4.14 ± 1.83 | P = 0.001 |
| 灸 46℃ | 5.19 ± 2.03 | 7.91 ± 2.27 | P = 0.01 |
この表から3つが読み取れる。
灸は侵害受容系を抑制することから始めるのではなく、活性化することから始めている。鎮痛が生じるとすれば、それはこの入力の後に起こる調節の結果である。この順序を取り違えると、「灸は痛みを抑える刺激だから痛くないはずだ」という誤った説明になる。
また、モデルラットで発火が大きかったことは、病態がある個体ほど同じ灸が強い入力になる可能性を示唆する。過敏な患者への初回施灸を控えめにする臨床判断は、この所見と矛盾しない。
同じ研究グループの別報告では、便秘型IBSモデルラット60匹を6群(各n=10)に分け、灸を 43 ± 1℃ および 46 ± 1℃(皮膚から20±5mm)で1日1回10分間、7日間連続して施している[21]。腹壁退避反射(AWR)スコア(80mmHg刺激時、中央値[四分位範囲])は、正常対照 2.00[1.75–2.00]、モデル対照 4.00[3.00–4.00]、灸43℃ 2.00[2.00–3.00]、電気鍼3mA 2.00[2.00–3.00]であり、著者らは「全EA群および全Mox群のAWRスコアはMC群より有意に低かった(P < 0.01)」と報告している。
両研究を併せて言えるのは、43℃と46℃のいずれも行動指標を改善させたこと、および後角の発火量は46℃のほうが大きかったこと、までである。「温度が高いほど臨床効果が高い」という一般則は導けない。加えて、灸の温度に関する用量反応を神経活動指標で検証した査読済み研究は、本稿の調査範囲ではこの一つの研究グループの系統のみであり、独立した再現は見出せなかった。
温度・侵害情報を運ぶ上行路には、脊髄視床路・脊髄結合腕傍核路・脊髄網様体路・脊髄中脳路が含まれる[19](総説)。役割は分化しており、外側系は感覚識別的な情報、内側系は情動・動機づけ的な次元に関わるとされる。
痛覚・温度覚は、後索・内側毛帯系(触圧覚・深部感覚)と異なり、脊髄レベルで交叉して対側を上行する[19]。
「刺激が脳に届く」という表現は、生理学的にはほとんど情報を持たない。どの経路で、どの視床核を経て、どの皮質領域に届いたかによって、生じる体験の質が変わる。単一ルートの図式は解剖学的に成立しない。
| 領域 | 役割 | 損傷時の所見 |
|---|---|---|
| 一次体性感覚野(S1) | 狭い体部位局在的な受容野。活動が刺激強度とともに増加 | 侵害刺激の検出は障害されるが、不快さの情動的判断は保持 |
| 二次体性感覚野(S2)・後部島皮質 | ヒトで刺激により痛みを惹起できる唯一の脳領域とされる | 痛み処理が大きく変化する |
| 前部島皮質 | 感覚情報と内受容感覚情報を統合。痛み強度の主観的判断と安定して相関 | — |
| 前帯状皮質(ACC) | 痛みの不快さに深く関与。上行性伝達と下行性調節をつなぐハブ | 痛み無痛覚症(強度判断は保持され、嫌悪性のみ減弱) |
| 扁桃体基底外側核 | 痛みの不快さを特異的にコード | — |
| 側坐核 | 急性痛から慢性痛への移行に関与 | — |
| 視床下部・PAG | 脅威に対する生存反応を統合するハブ | — |
「痛みの強さは変わらないが、つらさが減った」という患者の訴えは、曖昧な報告ではない。強度の判断と不快さの判断は、異なる脳領域が担っていることが示されている[19]。VASだけを追っていると、この変化を取りこぼす。強度と不快さを別々に聞き取ることには、神経解剖学的な根拠がある。
ヒトの脳で灸の効果を測った研究は存在する。ただし本稿が扱えたものは非盲検であり、階層Dとして読む必要がある。
変形性膝関節症患者を対象に犢鼻(ST35)への灸を行い、安静時機能的MRIで脳活動を測定した研究がある[24](熱敏群 n=30、非熱敏群 n=30)。介入は無煙艾条(直径22mm×120mm)を皮膚から3cmに置き、42〜48℃で10分間、1日1回、連続10日間。
| 指標 | 熱敏群(n=30) | 非熱敏群(n=30) |
|---|---|---|
| VAS 前 | 7.34 ± 1.80 | 6.28 ± 1.82 |
| VAS 後 | 3.64 ± 0.58 | 5.62 ± 0.74 |
| 群×時間の交互作用 | F = 11.43, p = 0.001 | |
| 左側頭葉 fALFF | 増加 t = 8.64, p < 0.001, 159 voxels | — |
| 後頭葉 fALFF | 低下 t = −8.81, p < 0.001, 494 voxels | — |
| 右小脳後葉 fALFF | — | 低下 t = −8.64, p < 0.001, 85 voxels |
| 右上側頭回 fALFF | — | 低下 t = −6.53, p < 0.001, 83 voxels |
VAS変化との相関は、左側頭葉で r = 0.764(p < 0.01)、後頭葉で r = −0.595(p < 0.01)と報告されている[24]。著者ら自身が挙げた限界は、①表現型による割付のため一般化可能性が制限され期待バイアスが入りうる、②先行する灸経験を体系的に収集していない、③fALFFという単一の解析手法のみを用いた、の3点である。
動物では、虚血性脳卒中モデルラットの大椎(DU14)へ懸垂灸(皮膚から3cm、1日30分、3日間)を施し、内側前頭前皮質・前辺縁皮質におけるコフィリンのリン酸化(シナプスの長期増強の指標)を評価した研究がある[25](SDラット50匹のうち47匹を解析)。尾温上昇が1℃を超えた個体(11匹)と1℃以下の個体(7匹)を比較し、pCofilin陽性シナプスで p < 0.05、pCofilinとPSD-95の共局在で p < 0.01 の差が報告されている。
「熱が広がる・透る」といった感覚報告(熱敏現象)は、上記の研究では群分けの基準そのものとして用いられ、その群でVASの改善が大きかった[24]。この所見は感覚報告を記録することの臨床的価値を支持する。しかし盲検化されていない観察比較であり、熱敏現象を報告する患者がもともと期待や反応性の点で異なる集団である可能性を排除できない。「熱敏感覚が出たから効いている」と因果として説明することはできない。
下行性調節は「抑制系」ではない。促進もする。そして自律神経・内分泌・免疫への遠心性出力は、刺激した部位と強度によって向きを変える。この部では、実際に測られた出力を1つずつ確認する。
中脳水道周囲灰白質(PAG)は、吻側延髄腹内側部(RVM)および背外側橋被蓋へ投射し、トップダウンの制御系を構成する[19]。RVMは下行性疼痛調節回路の出力ノードであり、トップダウンの影響とボトムアップの感覚入力を統合する[22](総説)。
この総説の知見は主に齧歯類研究に由来し、ヒトの脳画像研究による裏づけがあると著者らは述べている[22]。
RVMはON細胞とOFF細胞の両方を持つため、下行性調節の向きは条件によって変わる[22]。同じ末梢入力でも、後角での通りやすさが逆方向に動きうる。加えて灸様刺激そのものが下行性調節系を駆動することを直接示したヒト研究は、本稿の調査範囲では見出せなかった。
臨床的には、施灸後に症状が一時的に強まる例があることは、この構造と矛盾しない。「好転反応」という説明を持ち出さなくても、調節系が双方向であることだけで増悪の可能性は説明の枠内に入る。ただし増悪が続く場合は、機序の議論より前に熱傷[40]と原疾患の再評価を優先すべきである。
灸が「痛い刺激なのに痛みを止めうる」ことを説明しうる古典的な仕組みがある。DNIC(広汎性侵害抑制性調節)は、異所性に侵害刺激を加えると、空間的に離れた別の侵害入力が減弱する現象として定義される[23](総説)。ヒトではCPM(条件刺激性疼痛調節)と呼ばれ、定量的感覚検査に基づく内因性疼痛抑制機能の評価パラダイムとして用いられる。齧歯類および霊長類では、後角の二次ニューロンであるWDRニューロンの応答が、その受容野の外にある侵害入力によって抑制される。
この総説が挙げる関連領域は、PAG・RVM・青斑核(LC)・背側網様核(DRt)である[23]。神経化学系としては次の3つが記述されている。
2-2節で見たとおり、灸は後角WDRニューロンを発火させる[20]。DNICは「別の侵害入力がWDRニューロンの応答を抑える」現象である。この2つを並べれば、灸の熱刺激が条件刺激として働き、他部位の侵害入力を抑制するという仮説が立つ。解剖学的には成立しうる。
灸によってCPMを誘導できるかを検証したヒト研究は、本稿の調査範囲では1件も見出せなかった。これは本稿における最大級の空白である。「痛いところから離れた場所に灸を据えても効く」という臨床経験をDNIC/CPMで説明したくなるが、その説明は解剖学的に成立しうる経路としては妥当でも、灸で実証された経路ではない。患者への説明は「そういう仕組みが身体に備わっていることは分かっている」までにとどめるのが、現時点の証拠に対して誠実な態度である。
体表への刺激が臓器の機能を変えうる経路は、体性-自律神経反射として整理されている。総説では、刺激部位による応答の違いが次のように記述されている[26](総説)。
| 刺激部位 | 駆動される経路 | 消化管運動 |
|---|---|---|
| 腹部(ST25など・消化管と同一分節)への強い刺激 | 交感神経性の反射 | 抑制される |
| 四肢(ST36など・消化管と異分節)への低強度刺激 | 副交感神経性の反射 | 促進されうる |
| 脾臓 | 脾臓交感神経経路 | 試験されたすべての身体領域から活性化されうる |
また同総説は、四肢の求心性線維の刺激によって生じる体性-自律神経反射は主に上脊髄性に媒介され、分節性の求心性線維の刺激では脊髄性・上脊髄性の双方の反射中枢から応答が生じうると整理している。中枢神経系が保たれた動物では、脊髄反射が脳からの下行性影響によってしばしばマスクされる[26]。
この領域の知見の多くは麻酔下の動物で得られている[26]。麻酔は自律神経の緊張そのものを変える操作であり、覚醒下のヒトで同じ反応が生じる保証はない。本稿は第Ⅲ部全体にこの但し書きを付し、以降の記述からこの条件を外さない。
部位だけではない。総説では、刺激強度によって動員される線維と反射経路が異なると整理されている。低強度(0.5mA)では大径有髄線維が、高強度(1〜3mA)では細径有髄線維および無髄線維が活性化される[26]。
この強度依存性を分子レベルで示したのが2021年の研究である[27](マウス)。
この研究は電気刺激による知見であり、灸の温熱刺激で同じ経路が動く直接証拠ではない。「低強度で迷走神経-副腎軸、高強度で脊髄交感神経反射」という枠組みは、灸に外挿されたものではなく電気鍼で示されたものである。本稿はこれを「同じ体性入力の枠組みで考えられる」までにとどめ、「灸でも同じことが起こる」とは書かない。
拘束ストレスにより胃排出が遅延したラットに、両側ST36へ間接灸(皮膚温 65.7 ± 1.3℃、190 ± 6秒、給餌後5・20・35・50・65・80分に計6回)を施した研究がある[28](SDラット72匹、各群 n=8)。
| 群 | 胃排出率 | 読み取れること |
|---|---|---|
| 非拘束 | 68.7 ± 1.8 | 基準 |
| 拘束 | 42.9 ± 5.8 | ストレスで遅延(p = 0.0001) |
| 拘束 + 灸 | 67.1 ± 2.4 | 非拘束水準まで回復(p = 0.0005) |
| 拘束 + アトロピン | 29.0 ± 3.8 | ムスカリン受容体を止めると灸の効果は消失(p = 0.9914) |
| 拘束 + 灸 + アトロピン | 28.9 ± 2.2 | |
| 迷走神経切断 | 15.3 ± 2.9 | 迷走神経を切るとほぼ完全に消失(p = 0.0928) |
| 迷走神経切断 + 灸 | 8.6 ± 2.3 | |
| 拘束 + ナロキソン | 14.5 ± 0.9 | オピオイド受容体を止めても効果は維持(p = 0.0007) |
| 拘束 + 灸 + ナロキソン | 33.3 ± 3.4 |
示されたのは、ST36への灸による胃排出の回復がムスカリン受容体と迷走神経に依存し、オピオイド受容体には依存しなかったということである。ナロキソンで消えなかったという陰性所見は、灸の作用機序を「内因性オピオイド」で一般化することへの反証として重要である。ただしこれは胃排出というアウトカムについての結果であり、鎮痛について同じことが言えるかは示されていない。
著者らは「灸単独の効果は確立できておらず、灸とST36の相乗効果の結果である」「他の経穴との比較が必要である」「灸は熱・焦げ臭・香気・心理的ストレスの複合刺激であり、単一の効果として検討すべきではない」と限界を明記している[28]。
健常者における受動的加温プロトコルと心血管自律神経調節の関係を調べた系統的レビュー(27研究を質的統合)では、全身加温と局所加温で変化の方向が逆になると報告されている[31]。
| 加温様式 | 報告された変化 | 研究数 |
|---|---|---|
| 全身加温 | 心臓迷走神経調節の低下 | 14研究 |
| 全身加温 | 交感神経調節の亢進と迷走神経離脱の双方 | 2研究 |
| 全身加温 | 圧受容器反射感度の低下 | 多数 |
| 局所加温・サウナ浴 | 心臓迷走神経調節の増加 | — |
灸に限れば、迷走神経性の指標が上がる方向の報告がある。健常者15名(男性11名・女性4名、平均年齢 20.8 ± 0.4歳)の右下腿ST36に間接灸を5分間行った研究では、皮膚温が安静時 29.9 ± 1.4℃ から施灸時 45.3 ± 3.3℃ に上昇し、心拍数が 63.0 ± 7.8 から 60.8 ± 7.8 bpm へ低下(p < 0.05)、RMSSDが 52.0 ± 27.1 から 64.3 ± 37.2 ms へ増加した[29]。対照は別日に実施した非燃焼灸(艾なし)で、皮膚温は 29.0 ± 1.7℃ → 29.6 ± 1.4℃ にとどまった。
一方、健常者36名(男性27名・女性9名)に懸垂灸(皮膚から3cm、安静10分・刺激10分・冷却15分)を行い赤外線カメラで指先温を測定した研究では、刺激部位の温度上昇と同時に指先温が低下した[30]。
著者らは「灸は交感神経系を賦活し、微小循環の減少を誘発しうる」と解釈している[30]。ただしこの研究では交感神経活動が直接測定されておらず、温度変化の相関から推論された解釈である。
同じ「灸」で、心拍が低下しRMSSDが上昇した報告[29]と、指先温が低下し交感神経賦活と解釈された報告[30]が併存する。これは矛盾ではない。心臓自律神経調節と皮膚微小循環は別々の自律神経支配を受けており、同時に逆方向に動きうる。患者への説明として「お灸をすると副交感神経が優位になってリラックスします」は、現在の証拠を超えている。言えるのは「灸によって心拍が下がり心拍変動の指標が上がった健常者の報告がある(n=15、階層B)」までである。
健常男性の臍周囲を直径10cmの加熱板で 40〜41℃・20分温めた研究(登録24名・解析21名、年齢 31.2 ± 6.9歳)では、上腸間膜動脈と上腕動脈で応答が分かれた[32]。
| 時点 | 上腸間膜動脈 | 上腕動脈 |
|---|---|---|
| 刺激前 | 822.1 ± 109.3 | 246.3 ± 25.2 |
| 刺激中 | 1045.0 ± 143.5(p < .01) | 268.2 ± 26.4(n.s.) |
| 10分後 | 1062.8 ± 153.6(p < .01) | 255.4 ± 25.2(n.s.) |
| 20分後 | 986.3 ± 129.8(p < .05) | 240.4 ± 24.1(n.s.) |
| 30分後 | 913.7 ± 11.7(n.s.) | 220.8 ± 22.2(n.s.) |
| 40分後 | 882.1 ± 119.3(n.s.) | 195.3 ± 21.1(p < .01・低下) |
1回の体表加温で、内臓側の血流は増え、上肢の血流は増えなかった。3-3節の分節性と整合する向きの所見である。ただし著者ら自身が「少数例のパイロット研究であり、対照群も無作為化もない」と述べており、用いられたのは加熱板であって灸ではない。
TRPV1発現末梢体性感覚神経の刺激と炎症の関係を調べた研究では、主にTRPV1アゴニスト(PAVA、4mg/kg 皮下投与)が用いられている[35](C57BL/6J雄マウスおよび Trpv1−/− 雄マウス、6〜11週齢)。頸部への投与により、血清TNF-αは 55.3% 低減(1mg/kg)/70.1% 低減(4mg/kg)(p < 0.0001)、IL-6は 92% 低減(1.5時間、4mg/kg)/72.4% 低減(6時間)と報告されている。コルチコステロンは投与15分後に約7倍に上昇し、3時間以内に基線へ復した。Trpv1−/− マウスではこれらの効果が消失し、生存率は野生型の 60% に対し 7% であった(p < 0.05、log-rank検定)。
この研究は温熱刺激そのものも検証している。剃毛した頸部への約50℃のハンドウォーマー15分間の刺激は、PAVA投与以上に多数のサイトカインを抑制したと報告されている(ただしIL-6・CCL2についてはPAVAのほうが有効)。約0℃の湿潤氷による寒冷刺激では、TNF-αとCCL3のみが有意に低減した[35]。「体表の温熱刺激が全身の炎症指標を動かしうる」ことを、経路を指定したうえで示した数少ない研究である。ただしマウスであり、灸ではない。
熱ショックタンパク質については、ラットに足三里または梁門(原著表記は Liangmeng)への灸を前処置として行い、その後に拘束水浸ストレスを加えた研究がある[36]。胃粘膜HSP70 mRNAは対照 0.616 ± 0.023、ストレスモデル 0.669 ± 0.007、足三里 0.799 ± 0.042、梁門 0.733 ± 0.025。潰瘍指数は対照 12.0 ± 5.9、モデル 26.8 ± 9.8、足三里 14.1 ± 5.4、梁門 26.2 ± 7.7 であった(各群 n=5)。
梁門群ではHSP70が対照より上昇しているのに、潰瘍指数はモデル群とほぼ同じ(26.2 ± 7.7 対 26.8 ± 9.8)である。同一研究の内部ですら、分子指標の上昇と保護効果は対応していない。著者ら自身も、灸により誘導されたHSP70が他の組織・臓器をストレス傷害から保護しうるかはさらなる検討を要すると述べている[36]。なお、この研究が測ったのは胃粘膜の発現量であって循環血中濃度ではない。ヒトで灸の前後に血中HSPを測定した研究には到達できなかった。
3-5節で引用した研究の著者自身が、「灸は熱・焦げ臭・香気・心理的ストレスの複合刺激であり、単一の効果として検討すべきではない」と限界に記している[28]。艾煙が嗅覚経路を介して中枢に作用しうることを示した動物研究も存在する[43](マウス、中国語論文。英文抄録に基づく)。
輻射スペクトルについては、総説が互いに一致しない複数の報告を並記している[41]。点火した艾の放射を「0.8〜5.6 µm、ピーク約1.5 µm」とする報告と、燃焼中の棒灸を「ピーク2.8 µm」とする報告、伝統的な棒灸を「ピーク3.5 µm」、経穴側を「ピーク7.5 µm(原著に『修正後は約10 µm』との但し書きあり)」とする報告である。これらは総説を介した引用であり、本稿は各原著に到達していない(孫引き)。そして値そのものが割れている。
煙については、市販の間接灸6銘柄の燃焼で生じる総揮発性有機化合物が 140.82〜288.83 µg/m³(測定前のベースライン 48.06、比較に用いられた基準値 400)と報告され、測定されたすべての値が基準の範囲内であった。著者らは30分を超える施術では適切な換気を推奨している[42]。
無煙艾条と有煙艾条を同じ介入として扱うことは、現在の証拠に照らせば正当化されない。煙の有無は、嗅覚という別の求心路の有無でありうる。臨床記録に「灸を行った」と書くだけでは、後から何が効いたかを検討できない。温度・時間・部位に加え、煙の有無も記録すべき変数である。
第1部では「体の中で何が起きているか」を見た。第2部は「その結果、何が変わるのか」を扱う。両者は別物である。機序が成り立つことは効果が出ることを保証しないし、効果が出たことはその機序を通った証明にならない。だから本稿は2つを並べて示す。効果もまた、届く距離によって3つに分かれる。
効果もまた、届く距離によって3つに分かれます。
| 機序 | 予測される効果 | 実際に測られたもの | 対象・階層 |
|---|---|---|---|
| 軸索反射(CGRP・サブスタンスPの放出) | 局所の血管拡張・血流増加 | 筋血流 +25.5 ± 8.6%[14]/ヒトで皮膚温・灌流の増加[33][34] | ラット C/ヒト B |
| C線維入力 → 後角 → 下行性調節 | 疼痛の緩和 | 動物で行動指標が改善[21]/ヒトで偽灸対照RCTがWOMAC疼痛の改善を示した[44] | ラット C/ヒト A |
| 体性-自律神経反射(異分節・迷走性) | 消化管運動の促進 | 胃排出 42.9 → 67.1%(迷走・ムスカリン依存)[28] | ラット C |
| 体性-自律神経反射(心臓迷走性) | 心拍の低下・副交感指標の上昇 | HR 63.0 → 60.8 bpm、RMSSD 52.0 → 64.3 ms[29] | ヒト B |
| 交感神経性の皮膚血管収縮 | 末梢の一時的な冷え | 指先温が21〜26秒後から低下、68〜82秒持続[30] | ヒト B |
| TRPV1経路 → 迷走-副腎軸 | 全身性の抗炎症 | 頸部50℃15分でサイトカイン抑制(Trpv1欠損で消失)[35] | マウス C |
| 熱ショック応答 | 細胞保護 | 胃粘膜HSP70の上昇。ただし保護効果と一対一で対応せず[36] | ラット C |
刺激部位とその周囲で完結する変化。本稿のなかで、機序と効果がもっとも近い距離でつながっている領域である。
軸索反射によって刺激部位の血流が増えることは、動物で経路まで分離されている[14]。増加のピークは +25.5 ± 8.6%、持続は約14分、60分後も上昇が続いた例が33.3%であった。
ヒトでも観察できる。中脘への大型間接灸では、皮膚温と皮膚灌流の変化が直径5cm領域で30分間、直径15cm領域で25分間にわたって用量間で有意差を保った[33]。合谷への赤外線加温でも灌流の有意な増加が報告されている[34]。
軸索反射では、C線維終末からCGRPとサブスタンスPが放出される。両者は血管周囲の感覚神経内で共局在し、併用したときの微小血管反応が単独効果の和を上回ることが報告されている[16]。Noguchi らの実験で増加相を消したのはCGRP拮抗薬であった[14]。
サブスタンスPもCGRPも、侵害受容の側のペプチドである。サブスタンスPは脊髄後角で侵害情報を伝える神経伝達物質として、CGRPは血管拡張因子として記述されている[16][19]。放出されること自体は、鎮痛ではなく、むしろ侵害情報の伝達と神経原性炎症を意味する。したがって本稿は、これらのペプチドの放出を鎮痛機序として説明しない。
サブスタンスPを鎮痛と結びつける議論が成立しうるのは、放出ではなく枯渇・脱感作の側である。カプサイシンを3日間貼付してTRPV1発現C線維を脱感作させたヒトの実験では、脱感作部位で熱痛覚閾値が有意に上昇した[15]。C線維を繰り返し刺激すると、その線維の応答性が落ちるということである。
灸もC線維を動員する手技である以上、反復施灸が同じ方向に働く可能性は考えられる。ただしこれはカプサイシンで示された現象であって、灸の反復で同じ脱感作が起きるかを検証した研究には到達できなかった。本稿はここを仮説として扱う。
熱を受けた細胞自身も反応する。ラットに灸を前処置として行った研究では、胃粘膜のHSP70 mRNAが上昇した[36]。ただし第6章で見るとおり、この上昇は保護効果と一対一で対応していない。
脊髄と脳を経由して、離れた場所に出る変化。疼痛と、自律神経を介した内臓機能がここに入る。
灸は後角WDRニューロンをまず発火させる[20]。DNICは「別の侵害入力がWDR応答を抑える」現象であるから[23]、灸の熱が条件刺激として働くという筋書きは解剖学的に成立しうる。しかし灸でCPMを誘導できるかを検証したヒト研究は1件も見出せなかった。下行性調節系が灸で駆動されることを直接示したヒト研究も同様である。
疼痛領域には、灸で偽対照を置いた二重盲検試験がまとまって存在する数少ない領域がある。変形性膝関節症である。
| アウトカム | 3週 | 6週 | 12週 | 24週 |
|---|---|---|---|---|
| WOMAC 疼痛 | p = 0.012 | p < 0.001 | p = 0.002 | p = 0.002 |
| WOMAC 身体機能 | p = 0.002 | p = 0.015 | p < 0.001 | p = 0.058 |
110人を実灸群55人・偽灸群55人に無作為割付し、犢鼻(ST35)・内膝眼(EX-LE4)・阿是穴へ週3回・6週間施灸した[44]。患者と施術者の双方の盲検化が成功したと明記され、重大な有害事象はなかった。疼痛は24週まで有意差が保たれたが、身体機能は24週で有意ではなくなった(p = 0.058)。
痛みが軽くなることと、動けるようになることは別々に動く。施術の評価を疼痛スケールだけで行うと、この乖離が見えない。
より大規模な試験もある。変形性膝関節症の392人をCO₂レーザー灸群と偽レーザー灸群に1対1で割り付けた二重盲検・多施設試験で、主要アウトカムは15メートル最速歩行時間という実測値であった[45]。
| 比較 | 4週 | 12週 |
|---|---|---|
| レーザー灸群の治療前との比較 | 有意に短縮(p < 0.05) | 有意に短縮(p < 0.05) |
| 偽レーザー灸群の治療前との比較 | 有意差なし(p > 0.05) | 有意差なし(p > 0.05) |
| 両群の比較 | レーザー灸群が短い(p < 0.05) | レーザー灸群が短い(p < 0.05) |
重要なのは2行目である。偽対照群では治療前後で有意差が出ていない。自然経過や通院そのものでは、この指標は動かなかった。ただし用いられたのは10.6µmのCO₂レーザー灸であり、艾を燃やす伝統的な灸ではない。
もっとも誤解が多い領域である。結論から言えば、「自律神経を整える」ではなく「向きを選んでいる」と記述するのが報告内容に近い。
| 何が変わるか | 報告値 | 経路 | 対象 |
|---|---|---|---|
| 胃排出の回復 | 42.9 ± 5.8 → 67.1 ± 2.4% | 迷走神経・ムスカリン受容体依存。ナロキソン非依存[28] | ラット |
| 心拍数の低下 | 63.0 ± 7.8 → 60.8 ± 7.8 bpm | 心臓迷走神経調節[29] | ヒト n=15 |
| 心拍変動(RMSSD)の上昇 | 52.0 ± 27.1 → 64.3 ± 37.2 ms | 同上[29] | ヒト n=15 |
| 末梢皮膚温の低下 | 21〜26秒後から68〜82秒 | 交感神経性の皮膚血管収縮と解釈[30] | ヒト n=36 |
| 内臓血流の増加 | 822.1 → 1045.0 mL/分 | 分節性。上腕動脈は変化なし[32] | ヒト n=21(加熱板) |
| 消化管運動の抑制 | 腹部への強刺激で生じうる | 同一分節の交感神経性反射[26] | 動物・総説 |
心拍は下がり副交感指標が上がる一方で、指先の温度は下がる。矛盾ではない。心臓自律神経と皮膚微小循環は別々の支配を受けており、同時に反対方向へ動きうる。したがって「お灸をすると副交感神経が優位になってリラックスします」という説明は現在の証拠を超えている。言えるのは「心拍が下がり心拍変動の指標が上がった健常者の報告がある(n=15、階層B)」までである。
消化器症状に足三里を用いる古典的な選穴は、異分節の求心性入力が上脊髄性の反射を経て迷走神経出力を促進するという枠組みで説明しうる[26][28]。同じ症状に腹部の経穴を用いれば、同一分節の刺激として逆方向の反応を生じうる。「腹部と四肢のどちらに据えるか」は、強度の問題ではなく反射の向きの問題でありうる。
内分泌・免疫・細胞保護。動物とヒトの落差がもっとも大きい領域である。
動物で経路が示されていることは、ヒトで効果があることを意味しない。経路が存在することと、その経路が臨床的な帰結を生むことは、別々に証明されなければならない。そして分子指標の上昇は、それ自体では効果の証拠にならない——HSP70の例がそれを同一研究の内部で示している[36]。
第2部までは「体に何が起きるか」だった。第3部は「どの訴えに、どこまで言えるのか」である。領域ごとに、到達できた最良の証拠と、そこにかかる割引をセットで示す。結論を先に言えば、この部のほぼ全域で、確実性は「低い」から「非常に低い」の範囲にある。
領域ごとに、到達できた最良の証拠と、そこにかかる割引をセットで示します。
有効率は一貫して有意に出る。そして盲検化されたヒト試験は1件も含まれていない。この2つを同時に持つ領域である。
原発性不眠症に対する灸の系統的レビュー・メタ解析では、22件のRCT・1,971人(灸群999人、対照群972人)が統合されている[46]。
| 比較 | 試験数 | 統合値(RR) | 異質性 |
|---|---|---|---|
| 全体 | 22件 | 1.17(95%CI 1.12–1.23、P < 0.00001) | I² = 37% |
| 対 西洋薬 | 5件(n=477) | 1.16(95%CI 1.09–1.24) | I² = 0% |
| 対 内服中薬 | 6件(n=533) | 1.11(95%CI 1.04–1.18、P = 0.002) | I² = 34% |
| 対 他の中医療法 | 11件(n=961) | 1.22(95%CI 1.15–1.30) | I² = 0% |
数値だけ見れば一貫している。問題はその下にある。
| 項目 | 低リスク | 不明 | 高リスク |
|---|---|---|---|
| ランダム化の手順 | 10件 | 12件 | 0件 |
| 割付の隠蔽 | 0件 | 22件 | 0件 |
| 参加者・施術者の盲検化 | 0件 | 0件 | 22件 |
| 評価者の盲検化 | 0件 | 0件 | 22件 |
「含まれた研究の高いバイアスリスク、小さな標本、有害事象報告の少なさといった不十分な証拠のため、原発性不眠症に対する灸の有効性と安全性について結論を得ることは困難である」[46]
22件すべてが中国で実施されており、出版バイアスの検定も陽性であった(Begg's Pr = 0.001)。有害事象を報告したのは22件中3件のみである。
高齢者(60歳以上)の不眠を対象とした鍼灸のメタ解析では、20件のRCT・1,677人が統合されている[47]。PSQI(ピッツバーグ睡眠質問票)の統合値は次のとおりである。
ただし著者らは、PSQI解析の異質性が I² = 91% と極めて高いこと、出版バイアスが検出されたこと(有効率 p = .001、PSQI p = 0)、全試験が中国の単施設であること、二重盲検を用いたのは20件中1件のみであること、長期追跡データがないことを限界として明記している[47]。またPSQIは患者自身が記入する主観的指標である。
「灸で睡眠が改善したという報告は多数あるが、盲検化された試験がほぼ存在しないため、その改善のどこまでが灸によるものかを分離できていない」——これが現時点で正確な言い方である。睡眠は期待と関係性の影響をとくに受けやすいアウトカムであり、この分離ができていないことの重みは大きい。
機序の裏づけは第3章・第5章でもっとも厚い領域。しかし臨床試験の側には、機序と噛み合わない結果がある。
過敏性腸症候群に対する灸の系統的レビュー[48]がある。本稿が参照した整理では、対象となった20件のうち割付隠蔽が記述されていたのは2件、19件が中国で実施され、偽対照を置いた試験は1件のみで、その1件では全般指標に差がなかった。
隔物灸は、艾と皮膚のあいだに薬末を挟む手技である。ならば薬末に効果があるはずだ、という仮説が立つ。これを検証できる形の試験がある。
下痢型過敏性腸症候群を対象とした多施設試験では、薬末を入れた隔物灸と、小麦粉のみを入れた隔物灸のあいだに差が認められなかった[49]。有意差が報告されているのは、灸と薬物のあいだである。つまりこの試験の範囲では、挟んだ薬末そのものの寄与は示されていない。
クローン病を対象としたRCTでは、疾患活動指数(CDAI)が 210.84 ± 48.03 → 95.49 ± 41.70 と大きく低下した[50]。しかし内視鏡的重症度指数(CDEIS)は両群とも有意差がなかった。
症状指数も血液検査も動いたのに、内視鏡所見だけが動かなかった。CDAIは腹痛・排便回数・全身状態など患者報告を含む複合指標であり、CDEISは粘膜そのものを見る指標である。この差は、「何が良くなったのか」を問い直すべき所見である。粘膜治癒を主要アウトカムに置いた灸の試験は、本稿の調査範囲では見出せなかった。
灸の臨床研究がもっとも蓄積している領域。そして「何と比べるか」で結論が変わることが、もっとも明確に見える領域でもある。
第5章で扱ったとおり、変形性膝関節症には患者・施術者の双方を盲検化した偽灸対照RCT(110人)[44]と、実測値を主要アウトカムに置いた二重盲検試験(392人)[45]がある。灸の臨床研究のなかで、この設計が揃っている領域は多くない。
慢性腰痛に対する灸の系統的レビュー・メタ解析[51]では、比較相手によって結論が変わる。本稿が参照した整理では、体幹安定化トレーニングとの差は −0.41(95%CI −0.87 〜 0.05、p = 0.08)であり、有意差に達していない。
同じ介入が、薬物と比べれば勝ち、運動療法と比べれば勝てない。どちらも事実である。患者に「腰痛に灸は有効です」と言うとき、その文が何との比較を指しているのかを、施術者自身が把握しておく必要がある。
なお米国内科学会の診療ガイドラインは、急性・亜急性腰痛に対する表在温熱を、中等度の質の証拠をもつ非薬物療法として挙げている[52]。灸もまた皮膚に熱を加える手技である。ならば灸の効果は温熱の効果なのか、温熱を超える何かがあるのか。これを分離できるのは偽灸対照試験だけであり、腰痛領域でその試験はまだ完了していない。
第1部で見たとおり、灸は後角WDRニューロンをまず発火させる[20]。鎮痛が生じるとすれば、それはこの入力のあとに起こる調節の結果である。「灸は痛みを抑える刺激だから痛くないはずだ」という説明は、この順序と合わない。
アウトカムを変えると、同じ介入が首位にも最下位にもなる。その実例が2つある領域である。
系統的レビュー10件を対象としたオーバービューにおいて、比較的明確な証拠が示されたのは骨盤位についてであった[38]。この領域についてはCochraneレビューも更新されている[39]。灸の臨床効果のうち、もっとも確実性が高いと位置づけられているのがここである。
35歳以上で予想外に採卵数が少なかった女性を対象に、神闕(RN8)への隔物灸を行ったRCTがある[53]。
| 指標 | 灸群 | 対照群 | p |
|---|---|---|---|
| 採卵数 | 5.8 ± 1.9 | 4.7 ± 1.9 | 0.012 |
| 着床率 | 29.5% | 19.2% | 0.116 |
| 累積生児出産率 | 27.3% | 13.3% | 0.172 |
上流の指標(採卵数)では有意差が出て、下流の指標(生児出産率)では出ていない。著者ら自身が、主要アウトカムを生児出産ではなく採卵数に置いたこと、標本が小さく妊娠アウトカムへの検出力が不足していること、非盲検デザインであることを限界に挙げている[53]。
数値だけ見れば累積生児出産率は 27.3% 対 13.3% で、2倍以上の開きがある。しかし p = 0.172 である。差が大きく見えても、この標本数では偶然と区別できない。「2倍になった」と紹介することは、この試験の結果を正しく伝えていない。
周閉経期症候群に対する鍼灸療法のネットワークメタ解析では、順位指標(SUCRA)が次のように報告されている[54]。
総有効率は研究者が定義した二値指標(「有効」か「無効」か)であり、Kupperman指数は症状の重さを測る連続量である。二値指標は閾値の置き方で大きく動き、連続量は動きにくい。同じデータから正反対の順位が出るのは、この差による。「総有効率◯%」という数字を見たときは、その研究が「有効」をどう定義したかを必ず確認する。
診療ガイドラインが灸を推奨した領域。その推奨の根拠を開けると、艾を燃やしていない試験が出てくる。
ASCO と Society for Integrative Oncology の合同ガイドライン(2024年改訂)は、がん治療を完了した成人の倦怠感に対して灸を条件付きで推奨している。ただしエビデンスの質は「低」である[55]。本稿が参照した整理によれば、同じガイドラインで鍼は推奨されていない。
その推奨の根拠となった2試験で用いられた「灸」は、艾を燃やしていない。ガイドライン本文が、用いられた刺激は機械により供給され、植物材料を伴わなかったと明記している。該当するのは赤外線レーザー灸を用いた二重盲検プラセボ対照試験[56]と、多施設の評価者盲検RCT[57]である。
つまり「ガイドラインが灸を推奨した」という一文を、艾を燃やす施術の根拠として引くことはできない。
機能性便秘を対象とした患者盲検・偽灸対照のパイロット試験では、p = 0.78 であった[58]。また本稿が参照した整理によれば、三群比較の試験では治療終了時点で灸と偽灸のあいだに差がなかった。
偽灸で差が消えることは、「施術に意味がない」ことを意味しない。偽灸群でも症状が改善していること自体は、臨床の現場で起きている変化である。ただしそれを灸に固有の効果として説明することはできない、というだけである。緩和ケアの場面では、この区別を保ったまま、患者にとっての価値を説明する言葉が要る。
領域を横断して、すべての数値に共通してかかる割引を4つにまとめる。
| 領域 | 最良の証拠 | 最大の弱点 | 確実性 |
|---|---|---|---|
| 睡眠 | 22試験1,971人で有効率 RR 1.17[46] | 盲検化された試験が0件/全件中国/出版バイアス陽性 | 非常に低い |
| 胃腸障害 | クローン病でCDAIが大きく低下[50] | 内視鏡指標は動かず/薬末とプラセボ粉末に差なし[49] | 低い |
| 慢性痛(膝) | 二重盲検・偽灸対照RCT[44][45] | 大規模試験はレーザー灸で、艾を燃やしていない | 中等度 |
| 慢性痛(腰) | 薬物・鍼との比較で優位[51] | 運動療法には勝てず/偽灸対照試験が未完了 | 低い |
| 婦人科(骨盤位) | オーバービューで比較的明確[38][39] | 機序は不明のまま | 中等度 |
| 婦人科(その他) | 採卵数で有意[53] | 生児出産率では有意差なし/指標で順位が反転[54] | 低い |
| 緩和ケア(倦怠感) | 診療ガイドラインが条件付き推奨[55] | 根拠試験が艾を燃やしていない/偽灸で差が消える[58] | 低い |
灸の有害事象は症例報告の集積として系統的にレビューされている[40]。熱傷はその中心である。効果の側に数値を並べるなら、損傷の側にも同じだけ紙面を割くのが公平な記述である。温度を上げる操作は、検証されていない利益と、報告されているリスクを同時に引き受ける操作である。
本稿で引用した所見を、区間ごとに並べ直した表です。
| 区間 | 場所 | 起きていること | 対象 | 階層 | 出典 |
|---|---|---|---|---|---|
| 受容 | 表皮・真皮の自由神経終末 | TRPV1(>43℃)・TRPV2(>52℃)などが開口。熱侵害受容はTRPM3/V1/A1の三重冗長 | 分子・マウス | E・C | [6][7][8][9] |
| 受容 | 表皮ケラチノサイト | TRPV3が温度情報を受け、ATPを介して感覚神経へ伝達 | 細胞・マウス | E・C | [10] |
| 受容 | 皮下マスト細胞 | 脱顆粒・Ca上昇・ATP放出。43℃と52℃で細胞外Ca依存性が異なる | 細胞株・ラット | E・C | [17][18] |
| 伝導(一次) | C線維・Aδ線維 | ヒト熱検出閾値 C 39.8±1.7℃/Aδ 46.9±1.7℃。潜時 C 961ms/Aδ 459ms | ヒト n=9 | B | [12] |
| 伝導(一次) | 組織の層 | 灸様刺激(50℃)は皮膚C線維、深部電気鍼は筋A線維(26.96±6.50 m/s)を動員 | ラット | C | [13] |
| 局所反射 | 末梢神経の分枝内 | 軸索反射。脊髄離断でも保持、坐骨神経切断・CGRP拮抗で増加相が消失。血流 −23.3±2.4% → +25.5±8.6% | ラット n=36 | C | [14][16] |
| 局所反射 | ヒト前腕 | 灸のフレアはカプサイシン脱感作で減少(鍼は消失)=主にTRPV1発現C線維を介するが、それ以外の経路も動員 | ヒト n=13 | B | [15] |
| 局所反射 | 到達範囲 | 刺激点から10mmで反応消失。ヒトでは直径5cm/30分・直径15cm/25分 | ラット・ヒト | C・B | [14][33] |
| 脊髄 | 後角Ⅰ層・Ⅴ層 | Ⅰ層は侵害、深層は侵害+低閾値機械。投射ニューロンは一部のみ | 総説 | — | [19] |
| 脊髄 | WDRニューロン | 灸はまず発火させる。正常ラットで43℃ 1.76±0.81 → 46℃ 5.19±2.03 spikes/s | ラット | C | [20][21] |
| 上行 | 前外側系 | 脊髄視床路・腕傍核路・網様体路・中脳路。脊髄で交叉し対側を上行 | 総説 | — | [19] |
| 上行 | 視床 | VPL/VPM→S1、VPI→S2、VMpo→前部島、MD/正中中心→ACC | 総説 | — | [19] |
| 皮質・辺縁系 | S1/S2/島/ACC/扁桃体 | 強度はS1・S2・島、不快さはACC・扁桃体基底外側核が担う | 総説 | — | [19] |
| ヒトの脳 | 安静時fMRI | 熱敏群でVAS 7.34→3.64、左側頭葉fALFF増加(r = 0.764)。非盲検・表現型割付 | ヒト n=60 | D | [24][25] |
| 下行 | PAG → RVM | OFF細胞=抑制/ON細胞=促進。向きは双方向 | 総説(齧歯類主体) | — | [22] |
| 下行 | DNIC / CPM | 異所性侵害入力がWDR応答を抑制。5-HT7・α2・μオピオイドが関与 | 総説 | — | [23] |
| 遠心(分節) | 体性-自律神経反射 | 腹部=強刺激で交感性・運動抑制/四肢=低強度で副交感性・運動促進 | 動物・総説 | C | [26] |
| 遠心(強度) | PROKR2発現ニューロン | 低強度0.5mAで迷走-副腎軸、高強度3.0mAで脊髄交感反射。電気鍼であり灸ではない | マウス | C | [27] |
| 遠心(消化管) | 迷走神経・ムスカリン受容体 | ST36灸で胃排出 42.9±5.8 → 67.1±2.4%。アトロピン・迷走切断で消失、ナロキソンでは消えない | ラット | C | [28] |
| 遠心(心臓) | 心臓自律神経 | ST36間接灸で HR 63.0→60.8 bpm、RMSSD 52.0→64.3 ms。全身加温では逆方向 | ヒト n=15 | B | [29][31] |
| 遠心(皮膚) | 皮膚微小循環 | 施灸中に指先温が低下(21〜26秒後から68〜82秒、r = −0.938〜−0.981)、2分以内に復帰 | ヒト n=36 | B | [30] |
| 遠心(内臓) | 上腸間膜動脈 | 腹部加温で 822.1→1045.0 mL/分(p<.01)。上腕動脈は有意変化なし。加熱板であり灸ではない | ヒト n=21 | D | [32] |
| 遠心(免疫) | TRPV1経路 | 頸部への約50℃刺激15分が多数のサイトカインを抑制。Trpv1欠損で消失 | マウス | C | [35] |
| 遠心(細胞保護) | 胃粘膜HSP70 | 足三里で発現増+潰瘍減。梁門では発現増でも潰瘍は減らず | ラット | C | [36] |
| 熱以外 | 輻射・煙 | スペクトルのピーク値が報告間で不一致(孫引き)。煙のTVOCは基準内 | 物理測定 | D | [41][42][43] |
ヒトを対象とした行(階層B・D)が測っているのは、熱検出閾値・フレア・皮膚温・皮膚灌流・血流量・心拍変動・脳活動という生理指標である。経路そのものを分離した行は、すべて動物である。ヒトでは除神経も拮抗薬投与もできないため、これは研究の怠慢ではなく構造的な制約である。
抽象的な課題ではなく、次の研究者が明日着手できる粒度で列挙します。
ある臨床効果のうち、局所経路・分節経路・上位中枢経路がそれぞれどれだけ寄与しているかを、ヒトで分離して定量した研究は1件も見出せなかった。動物では遮断実験で経路を1本ずつ潰せるが、ヒトではそれができない。したがって本稿は経路図は描けたが、経路の太さは描けていない。
灸を条件刺激として遠隔部位の疼痛閾値の変化を定量した研究が1件も見当たらない。評価法は確立しており実施可能性は高い。単に行われていない。
ヒトの閾値はCO₂レーザーの急峻加熱で測られている[12]。数十秒かけて加温する灸の条件での線維別閾値のデータがない。
動物では軸索反射性の血流増加がCGRP拮抗薬で消失する[14]。ヒトでの遊離量を直接測定した研究が見当たらない。
PAG–RVM系の活動を灸の前後で測定したヒト研究が見当たらない。「灸が脳を介して痛みを抑える」はヒトでの直接的裏づけを欠く。
艾炷底面温度は実測されている[4]が、その熱がヒトのどの線維をどの順に発火させるかを記録した研究がない。倫理審査と盲検化が困難という構造的理由がある。
43℃と46℃を神経活動指標で比較した研究は[20][21]、一つの研究グループの系統のみであった。独立した再現が見当たらない。
電気鍼では示されている[27]。灸の熱強度で同じ切り替えが起きるかを検証した研究がない。温度を上げる研究には安全上の上限もある[40]。
同一の温度条件で煙の有無のみを変えたヒトの比較試験が見当たらない。灸が複合刺激であることは著者自身が限界に挙げている[28]。
総説が併記する報告値が近赤外と中赤外で一致していない[41]。本稿は各原著に到達できなかった。
この領域の研究はほぼ動物の疾患モデルである[36]。ヒトで灸の前後に血中HSPを測定した研究が見当たらない。
熱敏灸の研究は表現型による割付であり、著者ら自身が期待バイアスの可能性を認めている[24]。
腹部と四肢で反射の向きが変わるという枠組み[26]を、灸のヒト試験で検証した研究が見当たらない。
灸の臨床試験では、熱を伴う介入の盲検化が難しい。艾を台座に載せ、外見・燃焼の進み方・燃え残りを実物に似せつつ、台座で熱と煙を遮断して皮膚に届かないようにする偽灸装置が開発され、盲検の成立が検証されている[37]。しかしこの装置が遮断しているのは、まさに本稿が受容の入口として扱ってきた熱と煙そのものである。つまり偽灸対照試験が検定しているのは「熱と煙が届くこと」の効果であり、4区間のどこが働いたかは分離しない。一方、経路を分離できる遮断実験は動物でしか行えない。ここに空白の根本がある。
同じ「報告されている」でも、対象とデザインによって重みが違います。
機序ではなく効果の側を見ると、系統的レビュー10件を対象としたオーバービューでは5件が肯定的、5件が結論を保留で、否定的と分類されたものはなかった。著者らは比較的明確な証拠が示されたのは骨盤位についてであり、他は一次研究の質が低いため不確実であると述べている[38]。この領域についてはCochraneレビューも更新されている[39]。
本稿にとって重要なのは、もっとも証拠が揃ったこの領域ですら、どの経路を通って効果が生じたのかは示されていないことである。効果の証明と機序の証明は、別の作業である。
局所の変化については「動物で経路まで調べられており、ヒトでも皮膚温や血流の変化として測られている」と言える。全身の変化については「動物での報告はあるが、ヒトで経路を確かめた研究はない」と言うのが、現時点で正確な言い方である。この2つを同じ強さで語らないこと——それが、いま誠実にできる説明のしかたである。
お灸と養生に関する、その他の取り組みです。
本稿の記述はすべて以下の一次・二次資料に基づきます。全件に到達可能なURLを付しました。